法輪寺
夫: 『 どっかお寺参りでも行こか? まだ行ってない寺は? 』
私: 『 法輪寺と法起寺に行ってみたいわ。 』
てなことで、斑鳩の里を目指して単車でブンブン



法輪寺と法起寺は、有名な”法隆寺”の近くにあります。
斑鳩の里では あちらこちらにコスモスが咲いていました。

先ずは、【法輪寺】に行きました。
法輪寺は斑鳩の北方に位置し、創建は飛鳥時代。
平安時代以後は次第に衰退し、江戸時代初頭には境内に三重塔のみでしたが
長い年月をかけて現在に至る伽藍が再興されていったらしいです。

表門です。 (それほど大きなお寺ではありません。)

国宝だった三重塔は、昭和十九年に落雷で焼失。(もったいない!)
国宝指定は解除となり、全く独力での再建が昭和五十年。(えらい!)
今日は風が強かったので、風鐸の音を聞くことが出来ました。
(風鐸の音を聞くことができるのは若い塔だから)

現在の講堂は昭和三十五年に耐火耐震の収蔵庫として改築されたものです。
講堂の中では、薬師如来坐像(飛鳥時代) ・ 虚空蔵菩薩立像(飛鳥時代) ・
十一面観音菩薩立像(平安時代) 等々たくさんの仏像を見る事ができます。
それも、手で触れられるぐらいの間近で見れるんです!(センサー有)
飛鳥時代の仏像は、やはりお顔が細面ですね。

金堂です。 現在の金堂は宝暦十一年(1761年)に再建されたもの。
法輪寺の沿革には、
再興は、享保年間の寶祐(ほうゆう)上人によって始められ、信者、大阪商人
地元の人々、作家の幸田文、全国の沢山の方々の支援によってなされた
と あります。
”ガンバっています法輪寺” そんな気がしたお寺でした。
私: 『 法輪寺と法起寺に行ってみたいわ。 』
てなことで、斑鳩の里を目指して単車でブンブン




法輪寺と法起寺は、有名な”法隆寺”の近くにあります。
斑鳩の里では あちらこちらにコスモスが咲いていました。

先ずは、【法輪寺】に行きました。
法輪寺は斑鳩の北方に位置し、創建は飛鳥時代。
平安時代以後は次第に衰退し、江戸時代初頭には境内に三重塔のみでしたが
長い年月をかけて現在に至る伽藍が再興されていったらしいです。

表門です。 (それほど大きなお寺ではありません。)

国宝だった三重塔は、昭和十九年に落雷で焼失。(もったいない!)
国宝指定は解除となり、全く独力での再建が昭和五十年。(えらい!)
今日は風が強かったので、風鐸の音を聞くことが出来ました。
(風鐸の音を聞くことができるのは若い塔だから)

現在の講堂は昭和三十五年に耐火耐震の収蔵庫として改築されたものです。
講堂の中では、薬師如来坐像(飛鳥時代) ・ 虚空蔵菩薩立像(飛鳥時代) ・
十一面観音菩薩立像(平安時代) 等々たくさんの仏像を見る事ができます。
それも、手で触れられるぐらいの間近で見れるんです!(センサー有)
飛鳥時代の仏像は、やはりお顔が細面ですね。


金堂です。 現在の金堂は宝暦十一年(1761年)に再建されたもの。
法輪寺の沿革には、
再興は、享保年間の寶祐(ほうゆう)上人によって始められ、信者、大阪商人
地元の人々、作家の幸田文、全国の沢山の方々の支援によってなされた
と あります。
”ガンバっています法輪寺” そんな気がしたお寺でした。
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